シンチャオ!ベトナムのフォトジェニックな町として知られている世界遺産の町ホイアンには、約400年前に日本人によって架けられたと言われている、日本橋が存在しているのをご存じですか?
このホイアンの日本橋は、2023年5月から現在にかけて老朽化に伴い修復工事を行っており、2024年8月の完成を目指しています。
本工事には日本人一名が約2年間現地に駐在して修復に携わっており、歴史的背景からもホイアンと日本は深い繋がりがあることが、伺えます。
今回は現在「日本橋(来遠橋)」の修復に携わる、建築士でありJICA海外協力隊員の宮崎真緒さんに修復の現状についてお伺いしました。
修復中の今だからこそ聞ける、景色の解説、修復の流れ、そして魅力についてご紹介いたします。
ベトナム・クアンナム省ホイアン市にある日本橋は、橋幅約5m、橋長が壁部分を含め20m(石橋の部分は11m)の木造の屋根付きの橋です。
中央部分にはChùa Cầu(寺橋)と呼ばれる由縁になった小さな祠のエリアが張り出しており、上空から見ると凸の形をしている珍しい特徴を持っています。
原型となるものは約400年前の1593年に日本人によって建設されたと言われており、長い歴史を持っています。
1990年にベトナムの国家歴史文化財に認定。1999年にはホイアン旧市街が世界遺産として登録。2006年からはベトナムの20,000VND(約120円)の紙幣の絵柄にも採用されています。
名称はいくつかあり、ベトナム語では「Chùa Cầu(寺橋)」もしくは「Lai viễn kiều(来遠橋)」が一般的です。
ただその他、日本語や英語、中国語、スペイン語では、日本橋を意味する、「Japanese Bridge」、「會安日本橋」、「Puente Japonés」といった名称が広く使用されています。
本記事では多国語で使用されている「日本橋」という表記を使用します。
2023年に本格的に始動した現在のホイアン日本橋の修復工事は、写真など記録に残っている物で数えると1763年、1817年、1875年、1917年、1962年、1986年、1996年に続き、今回は8回目の修復工事となります。
費用は総費用は 202億VND(約1億円強)で、その50%はクアンナム省から、残り50%はホイアン市人民委員会から捻出されています。また住友財団からの研究資金と、国際協力機構 (JICA) からの専門家派遣の支援を受けており、現地では1名の日本人建築士が2年間プロジェクトに関わっています。
今回は、JICA海外協力隊員としてホイアン文化遺産保存管理センター遺跡修復課に所属し「日本橋」の修復に関わる日本人女性である宮崎真緒さんに実際に日本橋を案内してもらいながら説明をして頂きました。
日本橋の修復は、ホイアン文化遺産保存管理センター遺跡修復課に所属する日本人建築士1名、ベトナム人建築士1名、建設技師数名、の少数精鋭のチームで管理しています。
現場は、ホイアンの町家の修復の経験が豊富にある地元建設会社のCông ty trách nhiệm hữu hạn Kim An(キムアン有限会社)が担当しています。
日本橋の修復作業は全てに正確さが求められる作業です。遺跡修復課では、修復の方向性を決めたり、小まめに現場に足を運びながら、現状を把握し、適宜指示を出す役割を担っています。
修復中の日本橋は、日本橋を保護するために素屋根に覆われています。
日本橋は下から石を積み上げてできた橋脚、床板、屋根があります。
素屋根に覆われている日本橋ですが、実際に屋根下に入ると修復途中の橋の全貌を見ることが可能です。
簡単に日本橋の修復の流れを紹介すると以下の6ステップに分けられます。
1.仮設屋根(素屋根)の建設
2.お寺移動
3.解体
4.組み立て
5.外壁塗装
6.仮設屋根の解体
解体作業は3~4ヵ月程度で終れ、現在は2024年のテト明け(旧正月)後からスタートしている4番の「組み立て作業」を行っています。
作業の進み具合に波はあるものの、現在急ピッチで作業を進めており、2024年8月に完成を目指しています。
修復工事は、ベトナムと日本の専門家たちが意見を出し合い、最終的にベトナムのチームが方向性の決定を行います。
日本からは数回にわたり専門家の方から、その時々の状況にあった日本の技術や事例を教えて頂く機会がありました。
例えば、現在採用されているものですと、①素屋根の事例提供、②番付札を使用した部品の管理方法、③壁の調査方法などが挙げられます。
修復途中の様子を見学できるように建設されたプレハブの素屋根は、京都など日本の文化財修復の事例を元に作成したものであり、解体作業では、柱などには薄い木の板に小さな釘を打ち付けて一つひとつの部品を管理するという「番付札」での管理を採用しました。
また、今後協議が加速する壁の色に関しても、壁の一角に中心から円形状に広がるように削り年代ごとの色を確認する方法を教えて頂きました。
実際に削って見ると、近代の朱色以外の白、青、黄色などのカラーが顔を出し、時代と共に橋の色が異なっていたことが分かりました。
やはりどのように修復するのか方向性を決めるのが一番時間がかかります。
皆が一様に”正しく”修復したいという気持があるものの、どのような形が正しい修復にあたるのか協議に時間がかかりました。
例えば、日本橋の形は現状で残っている最古の写真は1915年の物になりますが、よく見てみると現在(修復前)のようなアーチ状ではなく中心部分が今よりも平らになっているように見えます。
カーブを描くような太鼓橋のようにするのか、1915年ごろの写真のようにアーチの頂上部分だけ平らにするのか慎重に協議が進みました。
最終的には、現状復帰という形に落ち着き、修復が始まる前と同じ形で、修復が必要な所を代替えして行う方針となり、現在に至ります。
写真:(左)1915年撮影、(右)2024年撮影
日本では、修復方法から完成形まで初めに決めてから、もしくは協議と並行して進めていく形が多いですが、ベトナムの今回のケースではステップバイステップで一つずつこなしていく方法をとっています。
この先も外壁のカラーを決めるのに、協議があると思います。日本橋の印象の決め手となるものになると思いますので、皆様も是非楽しみにしていてください。
今回はホイアン市にある日本橋の修復過程について、現地で修復業務に関わっていらっしゃるJICAの宮崎さんにお話しを伺い、その内容をご紹介致しました。
こぼれ話として、作業員の方々が、Googleマップの書き込みを気にして一時期修復の様子を見えないように垂れ幕を掛けてしまったという話も伺いました。
そうというのも「全然働いている様子が見られなかった」などと状況を知らないにも関わらずネガティブなコメントが勝手に更新されてしまったり、修復中という理由だけで★1がつけられてしまうなど、当事者の立場からすると明るい気持ちにはなれません。
もちろん「橋が見れなかった」と肩を落として帰られる方の気持ちも分かります。
ただもし修復期間にいらっしゃる方は、今しか見れない景色を「むしろラッキー!」と思って今の過程を是非写真に収めたり、以前の写真やベトナムの紙幣の写真と見比べたするなどして今しかない貴重な光景を楽しみ方をしてみてはいかがでしょうか。
一階仮設用道路。橋の修復中も修復の様子を見ながら渡れるようになっています。
一階の全体図
二階の全体図
二階奥に一時的に移されているTran Vo Bac De神が祀られているお寺
瓦を積み重ねている様子
瓦は使える物は残し、使えない物のみホイアンのThanh Ha村で制作したものを使用。複数の年代が混ざりあった瓦たちは色や質感なども異なり味わいを感じられます。
屋根にあった飾りはヒビが入り倒壊の危機のため一から作成。
奥にある白と青に塗られた飾りが、新しい屋根飾りとして使用される予定。
メインの柱は日本家屋と同じように釘を使わずに木組みで支えています。
下の石橋部分は手を加えず、石橋下の土台(橋台)部分をコンクリートなどで補強。
川に溜まった泥を掻き出しているノンラーを被った作業員の方たち。
日本橋(来遠橋)
入場料:無料
住所:186 Trần Phú, Minh An, Hội An
営業時間:特になし(※作業の様子はタイミングによりますが日中であれば見ることが可能です。)
※本記事の内容は2024年6月4日(火)時点の情報です。
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